Executive Director
国籍:China
入社:2018.03
大学院卒まで中国にいました。卒業前に日本の内定をもらって来日。
幼稚園、親の離婚で中退。
小学校はそばに親のいない子で、町中の不良から先生たちまで幅広く暴力を受ける日々でした。
小〜中学校の卒業まではクラスの成績ワースト5に常に定着しており、良いことをしておりませんでした。だが、高校の入学試験の前にディスってくれた先生に証明したあげるためか、1ヶ月でほぼ寝ないで270万人の人口の市でTop 10の成績で良い高校にはいりました。その夏休みにプログラミングと水泳をはじめました。
高校は酒と外遊びの日々で、授業中で外でバスケをやって、ケツなん回も先生に蹴られました。センター試験3ヶ月前までサボっていて、今回3ヶ月間でほぼ寝ないで頑張って奇跡を作ろうと思って一流の大学に近い線まで行ったが、試験直前に担任先生との喧嘩で学校を出てしまうことになった、最後そこそこの大学にしか行けませんでした。
大学の1校目は相変わらず不登校、2回100人以上の団体を立ち上げて、人材紹介、インターネットの黎明期のB2Bのサイトの営業、ポケベルの代理店、旅行代理店、弁当屋などをやってました。2校目はまだ不登校だったが、1年半でPG回り、英語、日本語、仏語の取れる資格まで取りまくって、成績もTopで一回先生に党に入りませんかと誘われましたことに大変光栄に思いましたw。
2005: ドリーム・アーツ
2009: 1社目のゲーム会社を創業、一年半後に失敗で解散。一日に2-3時間の睡眠以外は全部必死に仕事をしてたが、挽回のできぬ失敗時にとんでもない無力感を感じで、1人で布団の中でめっちゃ泣いていました。僕はとにかく生きる道を選びましたが、どんなに失敗があっても最後まで頑張り続ける創業者同士の背中を見て悔しい気持ちはいっぱいでした。数年後あのアホみたいな連中の中でこの国のスタートアップ界隈に見ないとんでもない偉業を2連チャで実現した奴もいました。
2011: コナミ PG、生きるためか業界のTopの姿をみたいためか入社。大手に向いていないことがわかって、半年で退社。
2012: 大連の開発会社を創業、まだ健在、オーナーは別の方。11-14は日米の100以上の0-1の開発案件に携わりました。多い時に1人で月3本のappをリリースしました。OSSも10個の言語で書きました。
2014: ギークス 新規事業マネージャー、幸せな3年半でした。ずっと応援したい会社でした。僕がいなくなった後に短期間で1部上場まで成長している姿を見て感無量でしたw。その間、初めての子供が授けられたのをきっかけに自分が親に捨てられた人生を踏まえてしっかりと社会への責任を持ってテック領域で社会にポジティブな変化を起こすような会社を作ることを決意しました。
2017: EVOLANYの前身の会社の2回連続創業&失敗。途中でクリスと出会いました。彼は千○百万の年収を捨てて、2子を育てながら無給でした。失敗と未来の方向に答えを探すために年間数千冊のペースで本を読み始めるようになりました。その後徐々に人間を理解できるようになるうちにラッキーになりました。
2018.03: EVOLANY3回目創業
前までは結構開発していました。初期のanybotは1人で作っていました。最近は殆ど人と喋ったり、より広く深く遠く、別軸で物事を考え(ようとし)ています。実は雑談でした。
多いですね、大きめなコンサル必要な案件の半分近くに関わっています。
時々街中に歩く時にこれもあれもお客さんです/でしたねと色んな感情が溢れる時があります。一生この会社の商品しか買わないようにしようと思うとか、この会社に本当に最善を尽くしてやりたいのに、結局力不足で申し訳ないなと複雑な感情でした。
4/5時頃-7:30 : 反省と整理・考案
10:00-11:30 : 各チーム別朝礼
11:30-12:30 : 面接 OR ランチ
12:30-13:00 : 昼寝、奥の部屋OR窓側のソファ、出来るだけイビキを出さないように努力しております。
13:00- : 日によって戦略/組織/開発ヘルプ/営業/制作/CS/調達/人事/雑務/トラブル/たまーに掃除
19:00- : 雑談がメイン、結構のペースで悟り気付き、閃きが出ます。みんなに業務まかりに集中する側から雑談を大事にしてほしい気持ちがあります(自分のサボりの言い訳にも使えます)
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